竹富町の文化財

古くから受け継がれた有形・無形といった数多くの文化財が保存伝承されています。
そんな文化財の中から、各島の主な文化財を紹介します。
散策しながら、島々の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。

竹富島



① 竹富町竹富島伝統的建造物群保存地区

集落には白砂の道がはしり、石垣と屋敷林に囲まれた屋敷に赤瓦屋根の民家が立ち並ぶ昔ながらの農村集落景観を残しています。
国選定1987年4月28日

② 西塘御嶽

西塘は尚真王の八重山征伐を機に首里王府にとりたてられた人物。竹富首里大屋子に命じられて八重山を統治。西塘の死後、郷里の竹富島の旧屋敷に墓を造り、葬ったのが西塘御嶽。
県指定1959年12月16日

③ 蔵元跡

八重山を統治するために創設された首里王府の役所で、石垣島に蔵元が移転されるまで八重山統治の要として機能していた。
県指定1959年12月16日

④ 小城盛(クスクモリ)

琉球王府(尚賢王時代)に建設された火番盛。海上を行き交う船を監視し、通報を行った。
町指定1972年8月30日

⑤ 旧与那国家住宅

主屋である「ふーや」と台所棟である「とーら」を並べた、分棟型の住宅。「ふーや」は沖縄の伝統的な間取りで、「ふーや」の正面には、石積の「まいやし」が建ち、宅地周囲に「ぐっく」と呼ぶ石垣を巡らせている。
国指定2007年12月4日

⑥ 竹富島の生活用具

喜宝院蒐集館が所有する842点。ワラザンなど人々の暮らしぶりを如実に物語る用具が収集されていることに特色がある。
国登録2007年3月7日

⑦ ミーナ井戸(ミーナカー)

女の井戸という意味。女神マリツが掘ったといわれる井戸。下った谷間に泉があり、昔島人はこの泉を飲料水として用いたと伝えられている。
町指定1972年8月30日

⑧ なごみの塔

1953年に住民が憩いの場として、竹富島西集落の赤山丘を公園化した際、公園中央に鉄筋コンクリート造の物見台を築いた。現在は島のシンボル的な存在。
国登録2006年3月27日

⑨ 西桟橋

竹富島で最初の近代的桟橋で、延長105.3m、幅員4.38m。石灰岩を乱積し両側面をコンクリート壁としている。先端部分は、干潮時にも使用できるように幅の広い斜路上に形成されている。
国登録2005年12月26日

西表島



① カマドマのクバデサー

カマドマ広場にある古木(クバデサ:モモタマナ)です。西表の代表的な民謡「殿様節」で歌われているゆかりの木です。
町指定1972年8月30日

② 船浮のヤエヤマハマゴウ

日本では石垣島と西表島に海岸林としてごくまれに自生する貴重な植物。
県指定1959年12月16日

③ 新盛家住宅

テーブルサンゴを用いた石垣と防風林の福木に囲まれた屋敷に建てられた木造平屋建て茅葺屋根の家屋。貫木屋と呼ばれる造り。
県指定1994年3月31日

④ 星立天然保護区

星立集落後方の金座山に自生するヤエヤマヤシの群落から浦内川河口にかけて発達したマングローブ林が天然保護区に指定されている。
国指定1972年5月15日

⑤ 船浦ニッパヤシ群落

船浦湾に注ぐヤシミナト川下流のマングローブ林内にニッパヤシの自生地がある。日本では本地域と内離島でしか見ることのできない貴重な植物。
国指定1972年5月15日

⑥ ウブンドルのヤエヤマヤシ群落

仲間川河口から約6km上流の北側斜面に広がるヤエヤマヤシ群落。樹高5~20mにおよぶものが100本以上もある。
国指定1972年5月15日

⑦ 古見のサキシマスオウノキ群落

古見集落南側の前良川河口右岸一帯、三離御嶽の御嶽林である群落が国内最大の規模を誇る。
国指定1978年3月22日

⑧ 仲間川天然保護区

河口から5kmにわたる流域は、壮大なマングローブ林が発達しており、その規模は国内最大のものといわれている。
国指定1972年5月15日

小浜島



① 大盛家住宅

母屋・ヒンプン・石垣・井戸が有形文化財。NHKの朝ドラロケ地(こはぐら荘)に使われた。
国登録2006年8月3日

② カンドウラ石(雷石・霊石)

大小2個の石(大60kg、小25kg)旱魃の際この大小二個のこの石を担いだり投げたりすると雨が降ると伝えられている。
町指定1972年8月30日

③ 魚垣(ナガキ)

海岸から沖合50〜100mの距離に末広がり型に石を積んで海を囲い、干潮時に垣にかかった魚を獲る施設。垣の高さは60cm〜1mで、長さは約1200mに及んでいます。
町指定1972年8月30日

④ 節定め石

この石に十二支の順に穴が掘られており 小浜島の人々はその石の穴と星(ムリ星)との方角等によって農作物の作付時期等を定めたと伝えられている。
町指定1976年7月15日

⑤ コーキ原のガジュマル群落

推定樹齢約250年。地上に露出した石灰岩をガジュマルの根が覆い、生育したひげのような気根が発達し、地表に根を下ろしている。いくつもの木が連結したように見え小規模な森を形成、神秘的な空間となている。
町指定1976年7月15日

黒島



① プズマリ

プズマリとは高く盛り上がってるという意味で、火番盛として船の通航を監視し、のろしを上げて通報したりした。
町指定1972年8月30日

② 番所跡

王府時代に黒島に置かれていた現在の役所にあたる所。もとは保里集落に置かれていたが宮里集落に移転。
町指定1972年8月30日

③ 伊古桟橋

伊古集落で漁業で盛んだった頃に利用されていた桟橋。海岸は遠浅になっている。
国登録2005年12月26日

④ アサビシバナ(遊び岩)

黒島の北海岸に突き出た平坦な岩のこと。昔、月夜となると、岩の上で島の若者達が歌ったり踊ったりして遊んだことからアサビシバナと言われる。
町指定1972年8月30日

⑤ 神山家住宅

東筋集落の民家で、元は茅葺、軒を低く造る古い形式をもつ。離島の古い民家形式を知る上で貴重。
国登録2007年5月15日

波照間島



① 浜シタン群落

ハマシタンは和名をミズガンピといい、耐潮性の強い植物で海岸の隆起珊瑚礁の上に群落をつくって岩を這うように生えるが、波照間島の西海岸、毛原崎一帯のハマシタン群落は県下でも珍しく直立し大木が群生している。
町指定19721年8月30日

② コート盛

火番盛、海上を監視し、通報するためにのろしを上げる場所。コート盛の頂上には石造りの方位盤と航海安全祈願したと伝えられる拝所がある。
町指定1972年8月30日

③ 長田御嶽

長田大翁主を祀った御嶽。森林の奥に石垣で囲まれた聖域があり、香炉が置かれている。オヤケアカハチの乱(1500年)で首里王府軍に協力した功により後に八重山頭職となった。
町指定1972年8月30日

④ オヤケアカハチ誕生の地

島の中央部に据石原という村跡があり、その村跡にアカハチ屋敷と呼ばれる屋敷跡が残っていて、首里王府に反旗をひるがえしたオヤケアカハチの誕生の地と伝えられている所。
町指定1972年8月30日

⑤ 下田原城跡(ぶりぶち公園)

琉球王国統一の歴史を示す重要な遺跡。沖縄の日本復帰直後「ぶりぶち公園」として整備された。
国指定2003年3月25日

⑥ シムスケー(古井戸)

旧シムス村跡の番所側にある下り井戸式の井戸。水量豊富で水質も良いことから、島民の生活を支えるうえでとても貴重な水源とされていました。
町指定1972年8月30日

鳩間島



① 鳩間中森

島の中央にあり島で一番高い丘(33.8m)で、一帯はクバ(ビロウ)が群生。代表的な民謡鳩間節にも歌われている。
町指定1972年8月30日

② 下り井戸

集落の東側に位置することから東の井戸(アンヌカー)とも呼ばれる。石灰岩の自然洞窟で地下水が湧き出ている。
町指定1972年8月30日

新城島



① クイヌパナ

島の西にある港に近い海岸に突き出た岩の上にあって東・北・西の3方に石積みをめぐらせ、内側には屋敷跡・拝所・物見台があります。
町指定1972年8月30日

② タカニク

石灰石を積み上げて築かれた琉球王府時代の火番盛。
町指定1972年8月30日
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