歴史でみる竹富町 history
竹富島の種子取祭
島では、種子取祭を「たなどぅい」とよんでいる。
種子取祭は種蒔きの神事儀礼のまつりである。
播種した種子がうち揃って発芽し、無事に成長し豊穣な世を授けてくださるよう、島の守り神に祈願するまつりである。
その祈願の祝詞は、玻座真村、中筋村の奉納芸能である例の狂言、「かじゃー」「ゆっきくーし」「たにまい」「ゆうひき」「あうじ」「あまんち」などの狂言の台詞の中に表現されている。
また、世乞いの道歌。
庭歌(巻き歌・シキドーヨー)、座敷歌(稲が種子アヨー・根うりユンタ)でも豊作、村の繁栄などの祈願の歌が歌われる。
種子取祭は、新暦の十月、十一月中にまわりくる干支の(甲申〜壬辰)の日までの九日間行われる。
初日日の甲申の日は、ホンジャー(芸能を司る長者)宅に集まり、トルッキと称する儀式を行い、種子取祭の奉納芸能の練習が開始される。
二〜四日目は、奉納芸能の練習、五日目の戊子は種を蒔き、イイヤチ(粟と糯米と小豆を混ぜた種子取祭用の料理)を作る。
神司は種子取祭をとり行う世持御嶽で種子取祭の祈願をする。
六日〜八日目が奉納芸能、世乞いが行われ、九日目の壬辰の日は後片付け、種子取祭の決算をなし九日間の種子取祭は終る。
種子取祭は、石垣、沖縄、本土在住の郷友の皆さん、観光客がたくさん集まり、島の人口の五〜六倍もふくれあがる盛況さである。
竹富島の種子取祭は、1977年国の重要無形民族文化財として指定された。
種子取祭は種蒔きの神事儀礼のまつりである。
播種した種子がうち揃って発芽し、無事に成長し豊穣な世を授けてくださるよう、島の守り神に祈願するまつりである。
その祈願の祝詞は、玻座真村、中筋村の奉納芸能である例の狂言、「かじゃー」「ゆっきくーし」「たにまい」「ゆうひき」「あうじ」「あまんち」などの狂言の台詞の中に表現されている。
また、世乞いの道歌。
庭歌(巻き歌・シキドーヨー)、座敷歌(稲が種子アヨー・根うりユンタ)でも豊作、村の繁栄などの祈願の歌が歌われる。
種子取祭は、新暦の十月、十一月中にまわりくる干支の(甲申〜壬辰)の日までの九日間行われる。
初日日の甲申の日は、ホンジャー(芸能を司る長者)宅に集まり、トルッキと称する儀式を行い、種子取祭の奉納芸能の練習が開始される。
二〜四日目は、奉納芸能の練習、五日目の戊子は種を蒔き、イイヤチ(粟と糯米と小豆を混ぜた種子取祭用の料理)を作る。
神司は種子取祭をとり行う世持御嶽で種子取祭の祈願をする。
六日〜八日目が奉納芸能、世乞いが行われ、九日目の壬辰の日は後片付け、種子取祭の決算をなし九日間の種子取祭は終る。
種子取祭は、石垣、沖縄、本土在住の郷友の皆さん、観光客がたくさん集まり、島の人口の五〜六倍もふくれあがる盛況さである。
竹富島の種子取祭は、1977年国の重要無形民族文化財として指定された。
竹富島の種子取祭1

根原家の神前でイバン(九年母の若芽)を白ハチマキで結び、ユークイの祈願をする
1987(昭和62)年10月
1987(昭和62)年10月
竹富島の種子取祭2

根原家から神司(カンツカサ)を先頭に世持御嶽に向かう。神司は左から内盛政子さん、新苗さん、登野原ミツさん
1987(昭和62)年10月
1987(昭和62)年10月
竹富島の種子取祭3

村の長老に扮する四人衆
1999(平成11)年10月
1999(平成11)年10月
竹富島の種子取祭4

さあ出番だ。ホラ貝を吹く高嶺方祐さん
1994(平成6)年10月
1994(平成6)年10月
竹富島の種子取祭5

庭の奉納芸能で小太鼓を打つ島の長老の左から亀井保文さん、高那石吉さん、大浜太呂さんたち
1987(昭和62)年10月
1987(昭和62)年10月
竹富島の種子取祭6

「曽我兄弟」を演ずる高嶺方祐さんと前新伸二郎さん
1993(平成5)年11月
1993(平成5)年11月
竹富島の種子取祭7

舞台芸能を観賞する村のお年寄り
1987(昭和62)年10月
1987(昭和62)年10月
竹富島の種子取祭8

舞台芸能を観賞する村のお年寄り
1987(昭和62)年10月
1987(昭和62)年10月
竹富島の種子取祭9

「世乞い」のアヨー、ユンタを謡う人たち
1987(昭和62)年10月
1987(昭和62)年10月
竹富島の種子取祭10

「トルッキ」、練習を見守り指導助言する顧問の皆さん
1993(平成5)年11月
1993(平成5)年11月
出典:「ふるさとへの想い 竹富島 前原基男 写真集」(C)前原基男
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