歴史でみる竹富町 history

島の野辺おくり

竹富島の死者をたびに付す葬式である。
死者が出ると葬儀に関わる準備がなされる。
その昔、死者はトゥンナカー(掘り抜き井戸)の水で沐浴をして身を洗い清め、葬儀幕に囲まれた部屋に西枕で寝かされた。
悔やみに訪れた人々は、死者の名前を呼んで声を上げて泣き悲しんだ。
大方はご婦人である。
寄って集まった村人の男達は葬儀の準備に取りかかる。
弔花も弔旗もすべて手作りであった。
死者と永別の印として、手伝いに来た人は、親戚と共に「タマシバイ(魂分け)」という意味で昼食を食べた。
死者の家の門には、死者のあることを知らせる死者の忌み名(生前の名前)を書いた弔旗を吹き流し、部落や著名な人から贈られた弔旗を立てる。
葬式は仏教式で、仏法涅槃経の四旒旗が門に立てられ、悪霊を祓う。
野辺おくりの棺はハルウヌと言われる龕籠に乗せて八名の若衆が担いでお墓まで送る。
葬式は、先導者にお坊さん、つづいて位牌を持つ喪主、提灯、弔花、銘旗(故人名の旗)、涅槃経の四旒旗、龕籠、家族親近者、一般人と並んでいく。

島の野辺おくり1

葬儀の準備を終えた後、タマシバイ(魂し分け)のご馳走にあずかる島の人々
1969(昭和44)年1月

島の野辺おくり2

仏法涅槃経の四旒旗を門の前に立てて死者のあることを知らせ悪霊を祓う
1969(昭和44)年1月

島の野辺おくり3

天蓋、提灯、涅槃経の四旒旗を門に立てて死者のあることを知らせ全ての悪霊を祓う
1969(昭和44)年1月

島の野辺おくり4

天蓋で仏像などの上にかざす笠状の装飾。方形または八角形、円形などにつくられる
1969(昭和44)年1月

島の野辺おくり5

天蓋の龍頭
1969(昭和44)年1月

島の野辺おくり6

棺を運ぶ龕
1969(昭和44)年1月

島の野辺おくり7

竹富島の龕は八人でかつぐ
1969(昭和44)年1月
出典:「ふるさとへの想い 竹富島 前原基男 写真集」(C)前原基男
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