歴史でみる竹富町 history

港のある風景

竹富島は、石垣島の南西約6キロの海上に、お盆のようにぽっかり浮かぶ、周囲およそ9キロ余、島民300人ほどの小さな島である。 石垣島とは向かい合って竹富島東港・ホーシ(大舛)の桟橋がある。出船、入船、人の往き交いは変わっても港の賑わいは昔も今も変わることはない。 一昔、風呂敷包を背負い台湾へ出稼ぎに旅立っ...
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島の景観

島の風景や外観そして町並みのたたずまいは、島に住む人々や島を離れた親友の心のよりどころである。 道や屋敷内に敷き詰められた真っ白な砂、サンゴ石灰岩を積み上げた屋敷の石垣、福木に抱護され調和のとれた茅葺き屋根、家屋は茅葺きのアナフ屋(掘っ立て小屋)から茅葺きのヌシ屋(礎に柱をのせた家屋)に変わり、そ...
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島の暮らしと文化

竹富島の吉良氏は決して裕福ではなかった。飲み水の確保、イシガンパラ(石岩原)を耕す畑仕事、薪拾い、山羊の草刈りと少年の頃の思い出はつらいことが多い。桑の木の幹を伝わって流れる雨水を水甕に貯える島人の暮らし。オーヌヤ(豚小屋)から流れ出る糞尿を一滴も捨てまいとサンゴ石灰岩で作ったアーチ状の下肥の貯...
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島に生きる人々

竹富島の人々は働き者で、底抜けに明るく、ヒトゥバラシャ(滑稽者)も多い。芸能達者で、いつ、どこでも、だれでも島唄を歌い踊りが飛び出してくる。こうしてはぐくまれてきたのが「うつぐみの心(協力心、結いの心)」で、この精神を島の人々はひどく誇りに思っている。 島の子は、幼い頃から容赦なく家事の役割分担を...
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ミンサーを織る

豊かな自然に恵まれた竹富島では、ミンサーや麻の八重山上布、芭蕉布、木綿と苧麻のグンボウ(混ぜ織り)など、古くから伝わる多様な布が織られている。 ブー(苧麻)や糸芭蕉を刈りとって糸にして、ブーンミ(苧麻績み)、バシャンミ(芭蕉績み)は、お祖母さんたちが夜遅くまでしていた。どの家にも機織があり、主婦は...
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島の野辺おくり

竹富島の死者をたびに付す葬式である。死者が出ると葬儀に関わる準備がなされる。その昔、死者はトゥンナカー(掘り抜き井戸)の水で沐浴をして身を洗い清め、葬儀幕に囲まれた部屋に西枕で寝かされた。悔やみに訪れた人々は、死者の名前を呼んで声を上げて泣き悲しんだ。大方はご婦人である。寄って集まった村人の男達...
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竹富島の種子取祭

島では、種子取祭を「たなどぅい」とよんでいる。種子取祭は種蒔きの神事儀礼のまつりである。 播種した種子がうち揃って発芽し、無事に成長し豊穣な世を授けてくださるよう、島の守り神に祈願するまつりである。その祈願の祝詞は、玻座真村、中筋村の奉納芸能である例の狂言、「かじゃー」「ゆっきくーし」「たにまい」...
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出典:「ふるさとへの想い 竹富島 前原基男 写真集」(C)前原基男
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